マスコミ紹介記事


光本師範の記事が読売新聞に掲載されました!

2016年11月28日

2016年11月27日(日)、読売新聞の「生きる語る」に光本健次国際担当師範の記事が掲載されました。

現在開催中のコーチングセミナーなどにも触れています。

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柔の道 世界つなぐ

 今も紛争が続くイスラエルとパレスチナから来た若き柔道家2人が25日、広島市の原爆ドームをバックに、日本人男性と共に肩を組み、笑顔で記念写真を撮った。
 2人の間に立つ男性は、柔道を通じて国際交流を目指すNPO法人「柔道教育ソリダリティー」の光本健次さん。同NPO法人は毎年11月、東海大湘南キャンパスで海外の柔道指導者を研修に招いており、この日は参加者たちに「戦争の悲惨さを伝えたい」と連れてきた。
 これまでも2人のように、争いを続ける国や地域同士の若者が柔道で打ち解け、最後は固い握手を交わす場面を何度も見て確認した。
 「相手を思いやる心を大事にする柔道だからこそ、平和の橋渡しができる」

 小学校の時、近所の道場で柔道を始め、名門・東海大に進学。しかし、肝機能障害を患い、卒業後は高校の指導者に転じた。
 1964年の東京五輪で柔道が正式競技となって以降、海外での人気は高まり、日本人の指導者は引く手あまた。「いつかは自分も海外で教えてみたい」と夢見ていた頃、「スイスに行って指導してこないか」と恩師から声がかかった。当時は27歳。二つ返事でOKし、スイス代表チームの特別コーチに就いた。
 代表選手たちは2年後に迫ったモスクワ五輪に向けて技の習得に熱心だったが、「礼」を単なる「試合を始める合図」と捉えており、「礼に始まり、礼に終わる」といった柔道の基本精神はないがしろにされていた。
 「柔道は格闘技だが、相手は決して敵ではなく、自分の技量を磨いてくれる存在。勝っても負けても相手に感謝の気持ちを持たなければならない」。柔道の精神を正しく伝えるためには、まず外国人の指導者を育てなければと痛感したことが、その後の原点になっている。


 帰国後は、高校の柔道部監督や大学教員などを務める一方、国際オリンピック委員会(IOC)や講道館の依頼を受け、海外で指導に当たったが、アフリカやアジアなどの発展途上国では畳や柔道着が不足し、満足に練習できないところも少なくなかった。
 赤道近くのある国では、灼熱の太陽の下、屋外に敷いた畳の上で演武をし、足の裏をやけどしそうになったり、別の国では、畳の上に寝転がって話を聞く子どもたちを前に、柔道の礼節を説いたりしたが、不思議と苦にはならなかった。
 そんな海外での豊富な経験を買われ、2006年にロサンゼルス五輪金メダリストの山下泰裕さんが設立した同NPO法人の国際担当師範に就任した。海外で柔道を教えるだけでなく、各国の選手やコーチを招いて指導してきた。
 気が付けばこの40年間で約30か国・地域を訪問。今夏のリオデジャネイロ五輪に出場したボツワナやミャンマー、ラオスなどの8人の選手・コーチをはじめ、世界中に数え切れないほどの教え子も出来た。
 

 年に1度開催する海外の指導者研修には今年、イスラエルのチャービット・ニムロッドさん(22)とパレルチナのオデイ・アシュリフさん(20)をはじめ、パラオやコスタリカなどから計10人が参加。チャービットさんとアシュリフさんは来日当初こそ緊張気味だったが、共に練習するうちに心の距離を縮め、広島では、光本さんが「一緒に写真を撮らないか」と声をかけたところ、2人とも快く応じた。
 「故郷に正しい柔道を伝えたい」。共通の目標を持つ2人は「紛争は大きな問題だが、畳の上にいる私たちには関係ない」と言い切る。
 「自他共栄」。講道館柔道の創始者・嘉納治五郎氏は生前、自分だけではなく、他の人と助け合いながら良い社会を作っていこうと説き、柔道を通した人間形成に力を入れていた。
 貧困にあえぎ、紛争が絶えない多くの国を見てきた光本さんも、「争いをなくすには、お互いを理解することが必要。柔道がそのきっかけになれば」と願う。
 4年後には柔道発祥の日本で平和の祭典が開かれる。「出来るだけ多くの国々の柔道家を招き入れ、国の壁を越えて絆を深めたい」。その時まで、畳を下りるつもりはない。(近藤幹夫)

Japan news (Yomiuri Shinbun) にも英文でも取り上げられました!

→ Spirit of judo connects people around globe