2006年06月

株式会社小松製作所様からご協賛をいただきました

NPO柔道教育ソリダリティーの推進事業へ、 株式会社小松製作所様からご協賛をいただきました。

「世界の安定がなかなか実現されず、日本の国際貢献のあり方にも内外から様々な議論がありますが、柔道を通じて培われる武士道の精神は、世界共通に受け入れられております。柔道の普及による人間教育活動には期待するところ大であり、今後も柔道発展のために、できるだけのお手伝いをしていきたいと思っています。」
株式会社小松製作所 代表取締役社長 坂根正弘
2006年6月23日


「アテネオリンピック金メダリスト、谷本選手など素晴らしい選手を輩出している株式会社小松製作所からのご支援、世界の柔道普及、発展のために有効に活用させていただきます。」
理事長 山下泰裕
2006年6月1日

写真:株式会社小松製作所 代表取締役社長 坂根正弘と理事長山下泰裕

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リサイクル柔道衣発送の準備報告

1990年より、IJF(国際柔道連盟)教育コーチング委員会、全日本柔道連盟、東海大学と協力して、世界の柔道発展途上国へ古柔道衣のリサイクル運動を行っています。
今回は、東海大学でどのようにしてリサイクル柔道衣が発送されるかを報告いたします。

リサイクル可能な柔道衣を選び、箱詰め作業に取りかかります。
リサイクル柔道衣は、一カ国に約50着送られます。大きいものから小さいものまでを選びます。

リサイクル柔道衣の要請国は、郵便事情があまりよくありません。しっかりとパッキングをしています。
リサイクル柔道衣の梱包が終わりました。


5月は、オセアニア州の6カ国、ネパール、ベトナム、シリアなどに発送いたしました。6月は、アフリカ地域8カ国、モンゴルなどに発送する予定です。

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中国柔道チーム再来日

北京オリンピックへ向けた中国男子チームが6月20日、今年3回目の来日をしました。今回は、コーチ2名、選手13名での来日です。大半の選手が前回の合宿で、東海大学に来ていますので、皆これまでより、リラックスをしてゆとりをもっていると思います。中国では、あまり稽古相手がいないそうで、東海大学で、日本で思いきり稽古に励めることを、非常に喜んで日本に来ています。私は、彼らをサポートすることができ非常に嬉しく思っております。

彼らの来日に関して、色々とご支援いただいているサポーターの方々、NPO法人のメンバーの方々に心から感謝いたします。実は最近、柔道創設者の嘉納治五郎師範が、中国人留学生の日本受入に非常に力を注いでいたと知りました。

日清戦争が終わった後、中国は日本から色々なことを学ぼうと日本に留学生を派遣しました。そのはじめの受入に嘉納師範は、非常に力を注いでいたそうです。はじめの第一陣の中国からの留学生を受け入れたのが、嘉納師範です。師範は当時、東京師範学校の校長をされていました。「中国を再建して行くには、留学生を送ることが大切である、多くの中国人を日本に送りなさい。」と提案されたそうです。そして、嘉納師範は、中国の留学生が日本の大学で学ぶ前に、日本語を学ぶ機関として弘文書院というものを設立いたしました。中国の文豪の魯迅など多くの人々がここで学んだそうです。

わたしの調べた範囲では、この弘文書院は13年間続きました、その間で中国からの留学生を7000名あまりが受け入れたそうです。
私にとっては、非常に嬉しい発見でした。

そして、あの当時から嘉納治五郎師範は、「自他共栄」の思想を国内だけでなく国際関係においても、実践していました。私が現在、多くの人の力を借りて、日本と中国の架け橋にわずかであるがなろうとしていること、それは柔道創設者の目指していたものとまったく同じものであると強く感じました。
私の友人の法政大学教授の王敏さんは、このことを本の中で書かれています(外交フォーラム7月号2006年No216p82-85)。

中国柔道チームが北京オリンピックでメダルを取るためには、まだまだかなりの努力が必要です。しかし、この柔道を通した交流が日本と中国の異文化交流に少しでも役にたてばと思います。これから夏に向け暑くなりますが、中国柔道チームには、怪我に気をつけて頑張っていって欲しいと思います。

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熱烈歓迎!中国男子柔道チーム

中国柔道チームが6月20日中国国際航空CA925便にて、日本に再来日いたしました。

今回は、南京柔道チームも含め13名の選手と2名のコーチです。二度目の来日の選手が多いため、リラックスした様子でした。


出迎えに行った長瀬拓己君(東海大2年)は、久しぶりに会った中国柔道チームの選手と片言の中国語で再会を喜び合っていました。


17:00頃ようやく、今井荘に到着しました。明日から東海大学にて、強化合宿を8月31日まで行う予定です。


img_entry_060620_05.jpg
中国柔道チーム

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「夢は続く」
中学道徳(熊本県版)心つないで

img_entry_060607.jpgめあて:柔道に対する考え方が変わっていた「私」は、どんな願いや夢を持っているかをつかもう。

「将来の夢」藤園中学校 2年 山下 泰裕

柔道が強くなりたい。強い高校、大学に進み、オリンピックで金メダルをとって日の丸を掲げたい。現役引退後には柔道のすばらしさを世界の人々に広げたい。

私は「立志の式」で、これからどうやって生きていくのか、どんな人間になりたいかを書いた。

阿蘇山一帯に降りそそいだ雨は伏流水となって熊本市内で湧水し、60万都市熊本をうるおす。その伏流水が上益城郡の矢部郷にも豊富な水をもたらしている。私はその矢部町(現山郡町)浜町で、1957(昭和32)年6月1日、父六男、母倭子の長男として生まれた。

小さいころから体が大きく、けんかをしては相手を泣かせ、学校から帰るとかばんを放り出して野山を駆け回っていた。手がつけられない腕白坊主の私を、町道場に連れて行ったのは非行と肥満を心配していた母だった。小学校4年生になったばかりの春である。

中学校は、祖父(泰蔵)の勧めもあり、親元を離れ、当時熊本でいちばん柔道の強い藤園中に祖父の家から通った。

柔道部監督の白石先生との練習の日々は激しく厳しいものであった。「もっと動け!そらもっと速く!」100キロの体が激しく動く、息遣いは荒く、ヒューヒューとのどに鳴り、汗も出つくしたと思えるほど流れる。これはまさに、体力の限界を超えており、もう精神力で闘っている。ある日、そんな状態のときに、ぶっ倒れる寸前に能力以上の技が無意識に出て稽古相手をしてくれていた小柄な監督の体が宙に舞った。「これだ」監督の声が思わず高くなり、興奮しているような絶叫ぶりだ。吐きながら、自分でもわからない中に出た「大外刈り」であった。

練習が終わって外に出れば、もう真っ暗。熊本城の天守閣が照明等に照らされてくっきりと浮かんでいる。バスに乗り、くたくたに疲れた体をひきずって帰りつく。「泰裕がんばったなあ。うんとうまかつば作ってやっぞ。」祖父のねぎらいの声と栄養満点の食事は心と体にしみ込んで行った。

「きみたちは柔道の勝者を目指すだけでなく、社会に出て役に立つ人間を目ざせ。柔道にはルールがある。一人ではできない。相手を尊重する気持ちと思いやりがなければいけない。強くなりたかったら素直な気持ち、礼儀を大切にしなさい。」とうい白石先生の教えは暴れん坊の私を生まれ変わらせてくれたのであった。

その後、私は19歳(東海大学2年)の時、全日本選手権史上最年少優勝(その後九連勝を果たす)、22歳で世界選手権金メダル(以後3連覇)と勝ち続けた。

1984年ロサンゼルスオリンピックで、私はまったく予期しなかった絶体絶命のピンチに襲われた。軸足右ふくらはぎに肉離れを負ったのだ。決勝戦の相手は、エジプトの巨漢ラシュワン。この時、私は始めて「勝ちも負けも関係ない」という気持ちになり、まったく無の状態で、あらんかぎりの力をふりしぼり、抑え込みで決めた。子供の頃からの夢が実現した瞬間であった。

このころからである。「勝てばいい。結果がすべてじゃないか。」という考え方に疑問を感じて、何かを求めるようになった。東海大学の創始者、松前重義先生はこう言われた。僕が君を応援するのは、試合に勝ってほしいかではないんだよ。柔道を通じて、世界の多くの若人と友好親善を深め、スポーツを通じて、世界平和に貢献できる。そんな人間になってほしいからなんだよ。」この言葉が私の人生を豊かにする支えとなった。そして、少しずつ柔道対する考え方、向き合い方が変わってきた。(ただ勝ち負けだけじゃない。柔道をとおして人間的成長をしていかなければいけない。闘う相手は敵じゃなく、ともに助け合い、柔道を学び合う仲間なんだ。)そんなことを考えるようになった。

1984年10月、国民栄誉賞をいただき、翌年6月、203.勝で現役を引退してから、自分のこれからの役割は、スポーツをとおして世界平和友好親善に力を尽くすこと」であると自覚した。現在、国際柔道連盟に加盟している国と地域は一九五もある。「柔道をとおしての人づくりをしていこう。」と、2002年秋からは国際柔道連盟の教育・コーチング担当理事に就任し、各国で柔道の指導をしている。また、世界の貧しい国々にリサイクルの柔道着を送ろうという運動も行なっている。1990年から国際柔道連盟と全日本柔道連盟、東海大学が合同事業としているもので、すでに世界131か国に3万着以上ものリサイクル柔道着を送っている。世界のあちこちに行ってみて、さまざまな文化や考え方をもつ人がいることを改めて知った。これからの私の仕事は、日本で生まれた柔道を、世界の中で発展させていくことである。

そして今、私が願っているのは子供たちに生き生きとした笑顔が戻り、世界中の人々がずっと安心して暮らせるように力を合わせて生きていく仲間をつくっていくことである。

まだまだ私の夢は続いている。大好きな柔道のすばらしさを世界に広げるという夢は、これから死ぬまで続けていける仕事なのである。私は、一生、夢の途中でいられる、こんな幸せなことがあるだろうか。

中学生の皆さん。未来に向かって夢をもち、力強くたくましく歩んで行ってほしい。そして、日本人としての誇りを持って、世界の平和や人類の幸せのために共に尽くそうではなりませんか。


てびき:「私」の生き方の素晴らしいところはどこだろう。また、それらを、自分の生き方にどう生かしていけばよいだろうか。ノートにまとめよう。

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IAJR(国際柔道研究者会)第1回 準備会議開催
(International Association of Judo Researchers)

IAJR(国際柔道研究者会)の設立へ向けた準備会議が開かれ、下記メンバーにて、2日間大変熱心に議論が交わされました。
これが設立され、世界に柔道研究者のネットワークが構築されますと様々な共同研究、情報意見交換が進み、柔道のアカデミックなレベルが向上し、若手研究者の育成にもつながると期待されます。また、世界の研究者間の協力、交流が進めばお互いの相互理解にも広がり、柔道の教育的価値や柔道の心もよりいっそう世界の国々に浸透し、ひいては世界平和にも貢献できると考えます。
なお、この事業をNPO法人 柔道教育ソリダリティーは支援しています。
写真:左から 山下、山田、中島、射手矢

日時 :2006年5月29日(月)・30日(火)
場所 :東海大学校友会間 かもめの間にて

参加者 :
David・松本(アメリカ・サンフランシスコ大学)
Mike Callan(イギリス・バース大学)
Emerson Franchini(ブラジル・プレスペテリアン大学)
橋本敏明(東海大学)
中島あきら(国士舘大学)
山下泰裕(東海大学)
射手矢岬(東京学芸大学)
山田利彦(了徳寺大学)
写真:左から 橋本、Emerson、Mike、David

■IAJRのミッション
To facilitate world peace and safety by improving international and intercultural understanding, cooperation, and relationships through judo by supporting judo-related research and education
(柔道に関する研究及び教育を支援することに、柔道を通しての国際間、文化間の相互理解、協力、交流を通して深める世界平和を促進することを目的とする)
写真:Mike Callan

■IAJRの目的
A:このミッションを達成するために、透明性のある安定した組織作り
B:より多くの研究者に理解していただき、賛同してお互いに交流、活動するための、データベースの充実と、世界の研究者のネットワークの構築
C:広報活動とプレゼンテーションの充実
D:可能性のある研究内容を充実させるための方法を構築
E:研究内容の充実
F:柔道を通した教育活動へのサポートと奨励
G:教育としての柔道を発展させるための設備の充実及びそのサポート
H:組織を充実させ、実りのあるものにしていくために、他団体との協力関係の拡大、充実

※詳細な会議録はPDFをご覧下さい。


写真:David Matsumoto、Mike Callan、山下

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